この前、ブログを再開したとき、父のことを書こうと思ったのですが、どうしても書けませんでした。
しかし、四十九日も終わり、姉が昨日父のことを書いたのを読んで、私も書こうという気になりました。
父は2月1日の早朝、交通事故で他界しました。
愛情たっぷりで優しかった父、子供のように無邪気なところがあって、器用で頼りがいのあった父、そんな父が大好きで、このホールも父に元気になってもらいたいとの思いで建てました。
82歳のお祝いをしてもらった時の父です。
いつも満面の笑みを浮かべる人で、私はこの笑顔が大好きでした。
懇親会でAKBのダンスをしたのですが、それを無邪気に喜んでくれた父でした。
姉と父と私です。
色んな方が、元気になるから写真を置いてと言ってくれたので、四十九日までホールに飾らせていただきました。
皆さんが、お供えや花をきらさないように飾ってくれ感謝でした。
母が亡くなってからの父は生きる気力を無くしていましたが、ホールの皆さんのお陰で元気を取り戻し、若い頃のような生き生きとしたエネルギッシュな父に戻っていました。
毎日が楽しくてたまらないようなそんな父を見ることができて嬉しかったです。それをしてくれたのも、初級卓球を始めとした皆さんのお陰です。
これからはあの父の明るさと包みこむような優しさを思い出して、少しでも近付けるよう頑張っていきたいと思います。
もっともっと長生きしてほしかったし、色んな悔いが残り、辛い気持ちはずっとありますが、父の作ってくれた基盤を発展させていくよう一生懸命頑張りますので力を貸してくださいね。
どうぞ、これからも末長くよろしくお願いします。
それから、長くなって申し訳ありませんが、姉のブログの文章が父の生きざまを詳しく書いてくれているので、ここに転送させてもらいますね。
父のこと
2017.3.24
今年創業45年を迎えた有限会社橋本建設商です。
久米のこの地域で皆様に長きに渡り大事にしていただき、頑張らせていただいております。
この会社を一から築き上げてきたのが、父、橋本浩晃です。
その82歳を迎えた父が、今年の2月1日 他界いたしました。
たくさんの方のお見送り、お心遣いをいただき、心よりお礼申し上げます。
上浮穴郡美川村東川(現在の久万高原町)に、8人兄弟の農家の長男として生まれ、父代わりとして、幼いころより苦労ばかりしてきた父の生きざまは、子供のころに話をきいて、可哀想で可哀そうでオイオイ泣いた記憶があります。
53年前、母と私たち子供を連れて松山の地にまいりました。4歳だった私は、ミカンの段ボール箱がテーブルであることが、不思議であり、また、家族でままごとをしているようで、親の気持ちもわからず、何かしら嬉しかったのを覚えております。
タクシーの運転手をしながら、休みの日には寸暇を惜しみ、大工現場での手伝いをしながら大工職人の道を決めたといいます。その頃の父の写真を見ると、睡眠不足と過労による疲れきった顔。夜勉強を重ねて、建築士、宅地建物など、次々と資格を取り続け、新しいものには、目を光らせ、松山でまだ殆ど使われていなかったCADを導入したのも父でした。弊社、事務所前に コンピューター設計橋本建設商 という看板があるのも、その名残りです。
橋本建設商の基盤を母と二人三脚で築きあげてくれました。
どんな時でも笑顔を忘れず、その明るさは、何事もなしえる原動力となっていました。母や私たち子供、孫、ひ孫にと それぞれに深い愛情を注いでくれた父です。誰よりも母が大好きな父でした。母を亡くした後、年をとっても、あんな可愛い子はいなかったと、いつも話しました。生まれ変わってもまた、母さんと一緒になるんだと。
会社の従業員であるみんなには、『親父』と呼ばれていました。親父が現場にきてくれて、大工の技を褒めてくれるのがいくつになっても嬉しかった。と。親父と行った釣りが楽しかった。親父と飲んだ酒が美味しかった。海外旅行が楽しかった。と。
若いころから続けた柔道は5段。
会社のみんなで船釣りに毎週のように行った時期がありました。もっとのんびりすればいいのに・・・と言われながらも懸命に釣る父は、ほとんど一番の釣果。
4年前に始めた卓球も、自宅に卓球場を作り、毎日練習に励んでおりました。そして、昨年、義弟が開院したいずみ診療所併設のみんなのホールは、父の人生最後の楽しみの場となりました。たくさんの仲間と卓球をするのが、毎日の日課であり、楽しみでした。
いつも 何事に対しても全力投球。ありったけの力を振りしぼる人でした。
いつも 笑顔の人でした。
いつも 人のことを褒めたたえる人でした。
いつも たっぷりの愛情をかけてくれる優しい人でした。
ありがとう!が口癖の人でした。
いくつになっても 子供のような嬉しそうな顔をする人でした。
会社のみんな、卓球仲間と飲むお酒が好きな人でした。
毎晩、夕飯で秀明と飲む酒と、その時間が好きだと言ってくれた父です。
みんなに愛される人でした。
そして、今、父は母に会って嬉しそうにしているに違いありません。
父が愛情をもって教えてくれたこと、伝えてくれたこと、バトンタッチしてくれたことを忘れません。 それを手本に、今そばにいてくれる人、これから出会う人、皆さんに対し、心から感謝し、社長であります主人、共に頑張ってくれている会社のみんなと一つになって、父が歩んできたレールを長いレールに変えてゆきたいと思います。
お力添えくださいます皆様に深く感謝し、これからのたゆまぬ精進を誓います。
今後とも どうぞよろしくお願い申し上げます。
橋本建設商のこのブログで、父のことを語らずしては、次のページに進むことができませんでした。
長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。